狐の社・二社目

カードゲーム好き元限界労働者がその時々に好き勝手ゲームについて語るブログ。

虚無そだてが我々に問いかけるもの。

2018年7月27日、金曜日。

平成最後の夏、台風を前にしたとある猛暑日に、ひときわ異彩を放つゲームアプリがこの世に爆誕した。

 

“虚無そだて” である。

 

このゲームタイトルからして既に無数の疑問符が頭の上に浮かんでいる読者も多いのではないだろうか。

 

「虚無……?」

「虚無ってなんだ……?」

「育てる……? 虚無を……?」

 

といった疑問が次々と読者の頭の中で浮かんでは消えていく事は想像に難くない。

そんな読者のために、今日はこの謎のゲームを紹介していこうと思う。

 

というわけで、“虚無そだて”がどういったゲームなのか知るために、まずはストアページの説明文を読んでみることにしよう。

 

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▲抽象的かつ不明瞭な文章が書かれており解読は困難を極める。

 

「わくわく虚無育成ゲーム!」の時点ではっきり言って意味不明だし、「タップで無をゲット!」という「アイテムを0個手に入れた」的な文章もまた難解である。

ここまででゲームの実態がまったく掴めない。

 

百聞は一見に如かず、というわけで、まずはゲーム画面を見てみるとしよう。

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▲なんとシンプルなゲーム画面だろうか! 

 

この虚無そだてというゲーム、シンプルなゲーム画面に違わずルールは実に単純である。

 

画面をタップすると“無”が手に入る。

そして一定量の(下のゲージが満タンになるまで)“無”を手に入れると“虚無”が育つ。

ここから一段階虚無を育てるためには画面を300回タップしなければならない、ということだ。

 

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300回タップすると、このように虚無が大きくなる。

次は3000回タップすると更に大きく……というようなゲームだ。

はっきり言って、ゲーム内容についてはあまり語ることがない。

タップして虚無を広げる以外に伝える事がないし、事実それだけのゲームだからだ。

しかしながら、考える事はある。

 

この虚無そだては所謂クリッカー系と呼ばれるゲームである。

ひたすらに画面をクリックして数字を増やしていくというだけのもので、一見するとゲーム性など皆無に見えるが、クリッカーは実はゲームアプリ界隈においては人気ジャンルなのだ。

 

勿論、スマートフォン/iphone用のアプリでは深いゲーム性を持たせるのが難しかったという事情もあるだろうし、ユーザー層的にじっくりと考えるようなゲームよりもライトな物が好まれたという世相的なものもあるだろう。

だが、そういった事情を抜きにしても、クリッカー系のゲームは――やってみれば分かるのだが――結構楽しいものだ。“凄まじい勢いで数字が増えていく”のが楽しい。

 

読者諸君はクッキークリッカーを覚えているだろうか。

 

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クッキークリッカーはその名の通り、お手本のようなクリッカーゲームだ。

 

クリックするとクッキーが生じ、そのクッキーを使ってクッキーを作るための設備を整え、効率よくクッキーを生産できるようにするゲームで、最初は1回クリックして1つクッキーが手に入るというだけなのだが、設備が整ってくると1クリックで数千、1秒あたり数万のクッキーが手に入るようになってくる。

 

ゲームが進めば進むほどクッキーの数は瞬く間に数十万と数百万と増えていく。バカバカしい量のクッキーが自分のワンクリックで増えていくのを見て、人間は「楽しい」と思うのだ。

 

数字という分かりやすい指標で達成感を刺激しているのだから当然と言えば当然なのだが、自分の行動によって数字が勢いよく増えていくのを見て、「全然楽しくない!つまらん!」と感じる人間は中々いない。

 

さて、では我らが“虚無そだて”はどうなのだろう。

 

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虚無そだてには、そういった軟弱な要素は一つも存在しない。

1タップは1無であって、ゲームクリアまでそれ以上にもそれ以下にも決してならない。

1タップで10000無が手に入るようにはならないのだ。

 

「数字がたくさん増える」という、クリッカーゲームにおけるユーザーの楽しませ方の常套手段を完全に排したクリッカーゲーム。それが虚無そだてである。

 

しかし、無は無であって鬼ではない。モチベーションに繋がる要素を排した上でひたすら画面をタップするのも大変だと思ったからなのだろうか、タップ以外にも無を増やす方法はある。

“虚空を見る”というものだ。

 

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このように、時折現れる虚アイコンをクリックすることで30秒間何も映らない真っ暗な画面を見る事ができ、結果として無が400ほど増えるというシステムだ。

 

実際にやってみると、指の休憩にもなる上に無取得の効率も悪くないため中々便利だと感じるのだが、冷静に考えると何かがおかしい。

製作者は何故真っ暗な画面を見るなどという謎のシステムを用意したのだろうか。

 

ゲームアプリでは、広告ムービーを見る事で何らかの特典がある場合が多々ある。

ユーザーに広告を視聴させることで、ゲーム製作者に広告収入が入るというシステムを利用したもので、広告を視聴するという動作にゲーム的なメリットを与え、より多くのユーザーに、自発的に、広告を見てもらおうという意図の戦略である。

 

“虚空を見る” とはこういった昨今のゲームアプリに対する皮肉に他ならない。

 

広告の代わりに虚空を見てもゲーム製作者には一銭も金が入ってこない。

我々が虚空を見ても作者には何らメリットは無い。ただ我々の無が増えるだけである。

考えてもみてほしい。そもそも虚無そだては基本無料のゲームだ。そして広告収入も無いならば、我々が虚無を育てる事すら、なんら作者にメリットがないと言える。

 

誰も得しない。広がる無。虚無そだてはガワだけでなくその本質も無なのだと、ひたすら無をタップする空虚な時間を過ごす事で筆者は気付いてしまった。

 

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ボタンを押して、数字が増える。それはゲームの根源である。

殆ど全てのゲームはボタンを押して数字を増やすものだが、その過程に様々な要素を付け足すことでゲームはゲームとして成立すると筆者は考えた。

 

ボタンを押して、数字が増える。

古来、「それだけではつまらない」と考えた人々がそれに様々な要素を付け足していったが、クリッカーゲームは、ただそれだけで人は遊べてしまうという事の証明でもある。

そして虚無そだては、そういったクリッカーゲームからありとあらゆる演出を省き、競争を失くし、商業的要素を排し、極限までボタンを押して数字が増えるという要素のみに絞ることによって根源、“ゲームの本質”に近づいたゲームだと言えよう。

 

もちろん、それがゲームとして面白いかどうかは別だ。

虚無そだてはゲームというよりは、一種の風刺だと筆者は感じた。

ゲームとは何か。我々は何を考えてゲームをしているのか。何を得るつもりなのか。

我々が楽しんでいるゲーム全ては、ボタンを押して数字を増やしているだけに他ならないのか。

 

製作者にそのような意図があったかどうかは不明だし、筆者が精神に異常をきたして勝手に妄想をしているだけなのかもしれないが、事実として筆者は虚無そだてに単なるゲーム以上に何か訴えかけてくるものを感じてしまった。

 

読者の皆もぜひ、虚無そだてをプレイしてほしい。

そして、ゲームとは何かという哲学的問いかけについて一度考えてみてほしい。